月別アーカイブ
← 2006年03月 →- スポンサーサイト [2008/08/29]
- 外に出れない=戦い= [2006/03/03]
- 外に出れない=戦い= [2006/03/12]
- 外に出れない=戦い= [2006/03/16]
- 外に出れない=戦い= [2006/03/21]
- 外に出れない=戦い= [2006/03/25]
- 外に出れない=戦い= [2006/03/26]
- 外に出れない=戦い= [2006/03/29]
いつからだろう・・・、私は異常に人目を気にして生きていた。
出勤前には、いつも早めに起き化粧と髪型を念入りに整えた。もちろん、服装にも気を配った。自分を引き立ててくれる色、デザインの物しか着なかった。
普通に歩道を歩いている時でさえ、車の中の人の視線が気になった。
自分が人の目にどう映っているかがすごく気になったのだ。そんなだから、容姿や見た目を褒められると何よりうれしかった。
それと同時に、人が自分をどう思っているか、思われているかという事も私にとって重要な問題であった。
常に、人から好意を持ってほしかったし、好かれたかった。だから、人前では、いつもテンション高く、明るく振舞った。
だが、たまに、自分が言った事にあまりいい顔をされないと、(変なことを言っただろうか、嫌われていないだろうか・・・)と非常に気になり落ち込んだ。
いつから・・・?
あれは、確か・・小学校5年生くらいから。
人の目を気にし、顔色をうかがい、いつも相手に合わせていた。
明るくふるまい、いつもニコニコしていた。
だから、クラス替えなどあると、最初の頃はクラスの中でも、結構人気者で投票で決める学級委員にもなんどか選ばれた。だけど、一年くらいたつと、いつの間にか私のまわりに友達はほとんどいず、ひどい時には無視されることもあった。それは、作り物の化けの皮がはがれた結果だった・・・。そして、人の目なんか気にせず、のびのびと行動し、思った事を率直に発言する子が、いつの間にかクラスで一番の人気者になっていた。
そう・・・、あれは確か・・・サヤカ。
小学校5,6年で同じクラスだったサヤカだ。私は、彼女のようになりたかった。色がぬけるように白く、目鼻だちがはっきりした綺麗な顔をして、頭も良く運動神経もよかった。私のように、こそこそ人目を気にすることなく、好きなように思った通りに行動する彼女は、だんだんとクラスの人気を集め、女子も男子も、いつしか彼女には一目置いていった。彼女は先生からも好かれていた。それに比べ、私は先生から、好かれていなかった・・・。
本当はサヤカのように、私も周りの目を気にせず肩の力を抜いて、生きてみたかった。そんな学校生活を過ごしたかった。
でも、ダメだった。サヤカのようになろうとまねしたこともある。でも、やっぱりすぐに、今の発言はどう思われただろう、今、私はどう見られただろうと、人目を気にするいつもの自分にすぐ戻ってしまうのだ。
それでも、やがて社会人になると、こんな性格が上司には気に入られた。無理をしてでも、相手に合わせる性格のおかげで先輩とも上手くやれた。そうなると、ますます性格はエスカレートし、いつもニコニコ、愛想良く、そして上司や先輩の顔色をうかがいながら、これが人間関係を上手くやっていく方法だと信じ、そんな自分を演じ続けた。それでいて、仕事を終え帰りのバスに乗る頃にはひどくイライラしていた。
なぜ、こんなにイライラするのか自分でもわからなかった・・・。
出勤前には、いつも早めに起き化粧と髪型を念入りに整えた。もちろん、服装にも気を配った。自分を引き立ててくれる色、デザインの物しか着なかった。
普通に歩道を歩いている時でさえ、車の中の人の視線が気になった。
自分が人の目にどう映っているかがすごく気になったのだ。そんなだから、容姿や見た目を褒められると何よりうれしかった。
それと同時に、人が自分をどう思っているか、思われているかという事も私にとって重要な問題であった。
常に、人から好意を持ってほしかったし、好かれたかった。だから、人前では、いつもテンション高く、明るく振舞った。
だが、たまに、自分が言った事にあまりいい顔をされないと、(変なことを言っただろうか、嫌われていないだろうか・・・)と非常に気になり落ち込んだ。
いつから・・・?
あれは、確か・・小学校5年生くらいから。
人の目を気にし、顔色をうかがい、いつも相手に合わせていた。
明るくふるまい、いつもニコニコしていた。
だから、クラス替えなどあると、最初の頃はクラスの中でも、結構人気者で投票で決める学級委員にもなんどか選ばれた。だけど、一年くらいたつと、いつの間にか私のまわりに友達はほとんどいず、ひどい時には無視されることもあった。それは、作り物の化けの皮がはがれた結果だった・・・。そして、人の目なんか気にせず、のびのびと行動し、思った事を率直に発言する子が、いつの間にかクラスで一番の人気者になっていた。
そう・・・、あれは確か・・・サヤカ。
小学校5,6年で同じクラスだったサヤカだ。私は、彼女のようになりたかった。色がぬけるように白く、目鼻だちがはっきりした綺麗な顔をして、頭も良く運動神経もよかった。私のように、こそこそ人目を気にすることなく、好きなように思った通りに行動する彼女は、だんだんとクラスの人気を集め、女子も男子も、いつしか彼女には一目置いていった。彼女は先生からも好かれていた。それに比べ、私は先生から、好かれていなかった・・・。
本当はサヤカのように、私も周りの目を気にせず肩の力を抜いて、生きてみたかった。そんな学校生活を過ごしたかった。
でも、ダメだった。サヤカのようになろうとまねしたこともある。でも、やっぱりすぐに、今の発言はどう思われただろう、今、私はどう見られただろうと、人目を気にするいつもの自分にすぐ戻ってしまうのだ。
それでも、やがて社会人になると、こんな性格が上司には気に入られた。無理をしてでも、相手に合わせる性格のおかげで先輩とも上手くやれた。そうなると、ますます性格はエスカレートし、いつもニコニコ、愛想良く、そして上司や先輩の顔色をうかがいながら、これが人間関係を上手くやっていく方法だと信じ、そんな自分を演じ続けた。それでいて、仕事を終え帰りのバスに乗る頃にはひどくイライラしていた。
なぜ、こんなにイライラするのか自分でもわからなかった・・・。
視線を感じて顔を上げると、由利先生がじっとこちらを見ていた。
(あぁ・・・、いけない、なんか物思いにふけってしまっていた)
少し頭が重かったので、こめかみを押さえていると
「思い当たることがありそうね・・?」
と由利先生が言った。
「・・・えぇ、あります」
「そっか、じゃあいつか聞かせてもらおうかな」と言って先生は、ニコッと笑った。そして、母の方を向き
「お母さん、心配なのはとてもよくわかりますが、なみさんには今とても休息が必要なのです。しばらくは、なみさんが眠りたいだけ眠らせてあげてください」
「はい・・・わかりました」
「それから、なみさん。今日はちょっと大変だったけど、来週はまた頑張って病院に来れますか?」
「・・・ん〜、正直・・・ここまでくるのもう恐いです」
「そっかぁ・・。でも、ここにこないと治療はできないからねぇ。頑張って来てもらいたいんだけど」
「・・・」
「薬、今朝昼晩って飲んでるんだよね?」
「はい」
「じゃあ、病院に来る時は朝飲んだ後、また出かける前にもう一錠のんでみようか。そうしたら、パニックがおきる確率も低くなると思うし。そして、お薬はいつも携帯しておくといいよ。そうしたら、いつでも飲めるし・・まぁ、お守りがわりにもなるし・・ね」
「・・・はい、わかりました。じゃあそうしてみます」
こうして、この日のカウンセリングは終わった。
会計をすまし、調剤薬局で薬をもらうと帰りのタクシーに乗る前に、さっそく一錠飲んでみた。そのおかげか、帰りの車の中ではなんともなく、無事家路に着くことができた。
その日の夜、父が部屋にやってきて話してくれたのだが、今日の病院で私がパニック状態になった時、一見冷静に見えた母だったが、実はそんな状態の私を見て、かなりショックを受けていたと言うのだ・・・。
それは・・・そうだろう。
でも、自分までは取り乱す訳にはいかないと必死で冷静を装ってくれていたのだろうか・・。
ありがたいと同時に・・とても申し訳なかった。
ごめんね、お母さん・・と気がつくとつぶやいていた。
できれば、もうこれ以上心配な思いはさせたくない。
でも、そんな私の意志を、身体は聞いてくれない・・・。
自分でも、どうしたらいいのかわからなかった。
(あぁ・・・、いけない、なんか物思いにふけってしまっていた)
少し頭が重かったので、こめかみを押さえていると
「思い当たることがありそうね・・?」
と由利先生が言った。
「・・・えぇ、あります」
「そっか、じゃあいつか聞かせてもらおうかな」と言って先生は、ニコッと笑った。そして、母の方を向き
「お母さん、心配なのはとてもよくわかりますが、なみさんには今とても休息が必要なのです。しばらくは、なみさんが眠りたいだけ眠らせてあげてください」
「はい・・・わかりました」
「それから、なみさん。今日はちょっと大変だったけど、来週はまた頑張って病院に来れますか?」
「・・・ん〜、正直・・・ここまでくるのもう恐いです」
「そっかぁ・・。でも、ここにこないと治療はできないからねぇ。頑張って来てもらいたいんだけど」
「・・・」
「薬、今朝昼晩って飲んでるんだよね?」
「はい」
「じゃあ、病院に来る時は朝飲んだ後、また出かける前にもう一錠のんでみようか。そうしたら、パニックがおきる確率も低くなると思うし。そして、お薬はいつも携帯しておくといいよ。そうしたら、いつでも飲めるし・・まぁ、お守りがわりにもなるし・・ね」
「・・・はい、わかりました。じゃあそうしてみます」
こうして、この日のカウンセリングは終わった。
会計をすまし、調剤薬局で薬をもらうと帰りのタクシーに乗る前に、さっそく一錠飲んでみた。そのおかげか、帰りの車の中ではなんともなく、無事家路に着くことができた。
その日の夜、父が部屋にやってきて話してくれたのだが、今日の病院で私がパニック状態になった時、一見冷静に見えた母だったが、実はそんな状態の私を見て、かなりショックを受けていたと言うのだ・・・。
それは・・・そうだろう。
でも、自分までは取り乱す訳にはいかないと必死で冷静を装ってくれていたのだろうか・・。
ありがたいと同時に・・とても申し訳なかった。
ごめんね、お母さん・・と気がつくとつぶやいていた。
できれば、もうこれ以上心配な思いはさせたくない。
でも、そんな私の意志を、身体は聞いてくれない・・・。
自分でも、どうしたらいいのかわからなかった。
(某年9月21日)
この日の夜、大阪から従姉妹2人とおじちゃん、おばちゃんが来た。
大阪の従姉妹と、私は大の仲良し!
ほんとは、もう一人一番年上の従姉妹がいるのだが、英語が好きで今海外に住んでるとかで、彼女は来なかった。
従姉妹は3人姉妹で、2番目は私の一つ上、3番目は私と同じ年だ。
年が近いせいもあって、住んでる場所が遠いにもかかわらず、彼女達は一人っ子の私にとって姉妹のような存在だ。小学校の頃、まだ祖母が生きていたときは、夏休みになると必ず、彼女達が大阪から祖母の家に泊まりに来て、そこに私も加わり、夏休みいっぱいプールだ、公園だ、海だと疲れを知らずに、毎日真っ黒になって遊んだものだ。
夜、お風呂から上がると、決まって、祖母はサイダーを私達についでくれた。シュワシュワっと泡だつ冷たいサイダーを飲んでから、みんなでお布団に入るのだが、なぜいつもお風呂上りにサイダーだったのかはちょっとしたなぞだった。もちろん、子供の頃はあまりそんな事を不思議に思う事はなかったが、年を重ね、その光景が思い出になった頃、ふと不思議に思う事がある。たぶん、ただ単に、祖母はサイダーが好きだった・・ということなのだろうが。
布団に入ってからも、怪談話などをして盛り上がりなかなか眠らなかった。一番上の従姉妹の真にせまった怪談話に思わず悲鳴をあげ、祖母に怒られた事もしばしばである。
とにかく、小学校時代の夏休みはとても輝いていて、このうえなく楽しいものだった。
だが、中学1年の時、祖母が亡くなってからは、自然と従姉妹も来なくなり、楽しかった夏休みは終わりをつげた。
それからは、時々だが、手紙や電話で連絡をとるようになった。特に、同じ年の従姉妹「ちえちゃん」とは一番気があった。
この日の夜、大阪から従姉妹2人とおじちゃん、おばちゃんが来た。
大阪の従姉妹と、私は大の仲良し!
ほんとは、もう一人一番年上の従姉妹がいるのだが、英語が好きで今海外に住んでるとかで、彼女は来なかった。
従姉妹は3人姉妹で、2番目は私の一つ上、3番目は私と同じ年だ。
年が近いせいもあって、住んでる場所が遠いにもかかわらず、彼女達は一人っ子の私にとって姉妹のような存在だ。小学校の頃、まだ祖母が生きていたときは、夏休みになると必ず、彼女達が大阪から祖母の家に泊まりに来て、そこに私も加わり、夏休みいっぱいプールだ、公園だ、海だと疲れを知らずに、毎日真っ黒になって遊んだものだ。
夜、お風呂から上がると、決まって、祖母はサイダーを私達についでくれた。シュワシュワっと泡だつ冷たいサイダーを飲んでから、みんなでお布団に入るのだが、なぜいつもお風呂上りにサイダーだったのかはちょっとしたなぞだった。もちろん、子供の頃はあまりそんな事を不思議に思う事はなかったが、年を重ね、その光景が思い出になった頃、ふと不思議に思う事がある。たぶん、ただ単に、祖母はサイダーが好きだった・・ということなのだろうが。
布団に入ってからも、怪談話などをして盛り上がりなかなか眠らなかった。一番上の従姉妹の真にせまった怪談話に思わず悲鳴をあげ、祖母に怒られた事もしばしばである。
とにかく、小学校時代の夏休みはとても輝いていて、このうえなく楽しいものだった。
だが、中学1年の時、祖母が亡くなってからは、自然と従姉妹も来なくなり、楽しかった夏休みは終わりをつげた。
それからは、時々だが、手紙や電話で連絡をとるようになった。特に、同じ年の従姉妹「ちえちゃん」とは一番気があった。
この日の夜はおおいに盛り上がった。
いつも、どちらかというと静かな我が家に大阪弁が飛び交った。
おばちゃんはもともと早口でよくしゃべる方だし、おじちゃんもビールをあける度に饒舌になっていく。
なんでだろう?大阪弁を聞くとなんだかこっちまでテンションが上がって元気になるから不思議だ。
私は次から次に飛び出す大阪弁を、心地よく聞いていた。普段はお酒をほとんど飲まない父も、真っ赤な顔をして、いつの間にかうつってしまった大阪弁で上機嫌にしゃべっている。
夜も更けていき、それぞれお風呂に入ると、私と二人の従姉妹は2階の私の部屋に上がっていった。
とりあえず、布団をひいてから、私達はまたしゃべりはじめた。
「なみちゃん、それにしても痩せたんとちゃう?ずいぶん会ってないもんなぁ」
「うん、ちょっと痩せたわ・・。それにしてもほんと、近かったら、しょっちゅう会えるのに、遠くてなかなか会えないからめちゃ寂しいわぁ」どうやら私も大阪弁がちょっとうつったらしい。
「ちえちゃん、髪きったんか?」
ちえちゃんは子供の頃からずっと長い髪の毛をしていた。でも、今は肩まで切ってゆるくパ〜マをかけている。
「そうや、なんかめんどくさくなってなぁ。この髪にしてずいぶん楽になったわ」
「さよちゃんは髪型変わらんねぇ」
「さよちゃん」とは、上から二番目の従姉妹で私より一つ年上だった。彼女はずっと、肩までのストレートヘアーだった。
「うちはこれが一番いいねん」
小さい頃から薄い綺麗な茶色の髪をサラサラと肩の所で揃えている。
流行に左右されず、自分らしい髪型をずっと変えない所は、いかにもさえちゃんらしかった。一つしか年が変わらないのに、彼女はいつも落ち着いててしっかりしていた。そんなさよちゃんにちょっと憧れたりもするが、いつもふざけていて、冗談ばかり言ってはニコニコしてるちえちゃんと比べると、時々ちょっと近寄りがたく感じる事がある。
さよちゃんに比べると、私の髪は固くて多くて黒かった。それでいて、ヘア雑誌などをめくっては、いつも流行を追いかけて、よく髪型を変えた。ちなみに今はロングヘアーにゆるくパーマをかけている。
もちろん、病気になってからは、美容院には行っていないが・・。
いつも、どちらかというと静かな我が家に大阪弁が飛び交った。
おばちゃんはもともと早口でよくしゃべる方だし、おじちゃんもビールをあける度に饒舌になっていく。
なんでだろう?大阪弁を聞くとなんだかこっちまでテンションが上がって元気になるから不思議だ。
私は次から次に飛び出す大阪弁を、心地よく聞いていた。普段はお酒をほとんど飲まない父も、真っ赤な顔をして、いつの間にかうつってしまった大阪弁で上機嫌にしゃべっている。
夜も更けていき、それぞれお風呂に入ると、私と二人の従姉妹は2階の私の部屋に上がっていった。
とりあえず、布団をひいてから、私達はまたしゃべりはじめた。
「なみちゃん、それにしても痩せたんとちゃう?ずいぶん会ってないもんなぁ」
「うん、ちょっと痩せたわ・・。それにしてもほんと、近かったら、しょっちゅう会えるのに、遠くてなかなか会えないからめちゃ寂しいわぁ」どうやら私も大阪弁がちょっとうつったらしい。
「ちえちゃん、髪きったんか?」
ちえちゃんは子供の頃からずっと長い髪の毛をしていた。でも、今は肩まで切ってゆるくパ〜マをかけている。
「そうや、なんかめんどくさくなってなぁ。この髪にしてずいぶん楽になったわ」
「さよちゃんは髪型変わらんねぇ」
「さよちゃん」とは、上から二番目の従姉妹で私より一つ年上だった。彼女はずっと、肩までのストレートヘアーだった。
「うちはこれが一番いいねん」
小さい頃から薄い綺麗な茶色の髪をサラサラと肩の所で揃えている。
流行に左右されず、自分らしい髪型をずっと変えない所は、いかにもさえちゃんらしかった。一つしか年が変わらないのに、彼女はいつも落ち着いててしっかりしていた。そんなさよちゃんにちょっと憧れたりもするが、いつもふざけていて、冗談ばかり言ってはニコニコしてるちえちゃんと比べると、時々ちょっと近寄りがたく感じる事がある。
さよちゃんに比べると、私の髪は固くて多くて黒かった。それでいて、ヘア雑誌などをめくっては、いつも流行を追いかけて、よく髪型を変えた。ちなみに今はロングヘアーにゆるくパーマをかけている。
もちろん、病気になってからは、美容院には行っていないが・・。
3人で久しぶりにたっぷりおしゃべりした後、0時のチャイムとともに、やっと眠ることにした。
一番に眠ったのは、ちえちゃんだった。けっこう大きな寝息をたててる。
それとは逆にさよちゃんは、静かに横たわっていた。
私は久しぶりに従姉妹に会った余韻のせいか、どうもすこし神経が興奮しているようで、なかなか寝付けなかった。
さっきまでの賑やかさが嘘のように、夜は静かにふけていった。
一番に眠ったのは、ちえちゃんだった。けっこう大きな寝息をたててる。
それとは逆にさよちゃんは、静かに横たわっていた。
私は久しぶりに従姉妹に会った余韻のせいか、どうもすこし神経が興奮しているようで、なかなか寝付けなかった。
さっきまでの賑やかさが嘘のように、夜は静かにふけていった。
(某年9月22日)
この日、従姉妹やおじちゃん、おばちゃん達はお彼岸ということもあって、祖母の眠るお寺へお参りし、そのまま帰ることになっていた。
大阪の親戚たちが来ると、いつも決まって、母は朝食に「おきゅうと」を出した。普段は「おきゅうと」なんて食べることないのに・・・。
おきゅうととは、簡単に言うと磯の香りのする、すこし緑がかったこんにゃくもようなものだ。そのままでは味がないので、かつおぶしやしょうゆをかけていただく。
福岡に来ると、必ずこれが出てくるので、大阪の親戚は福岡では朝食には必ずおきゅうとを食べる習慣があると勘違いしているようだ・・。
この日、従姉妹やおじちゃん、おばちゃん達はお彼岸ということもあって、祖母の眠るお寺へお参りし、そのまま帰ることになっていた。
大阪の親戚たちが来ると、いつも決まって、母は朝食に「おきゅうと」を出した。普段は「おきゅうと」なんて食べることないのに・・・。
おきゅうととは、簡単に言うと磯の香りのする、すこし緑がかったこんにゃくもようなものだ。そのままでは味がないので、かつおぶしやしょうゆをかけていただく。
福岡に来ると、必ずこれが出てくるので、大阪の親戚は福岡では朝食には必ずおきゅうとを食べる習慣があると勘違いしているようだ・・。
朝食を食べ終わると、親戚達は帰りの荷物をまとめ始めた。
私も2階で、従姉妹の帰り支度をペチャクチャおしゃべりしながら、手伝いつつも、心の中ではむしょうに寂しかった。
子供の時のように・・とは言わないが、せめてもう少し長く何日か一緒にいたかった。
でも、もうあの頃のようにみんなたっぷり時間があるわけじゃない。
ちえちゃんも、さよちゃんも仕事があるのだ。おじちゃんとおばちゃんだって仕事がある。
だったら、せめてこの後行くお寺のお参りに一緒に行きたい。
でも・・・、私は行けない。
お寺へは車で、20分くらいかかる。そんなに長い時間、車に平然と乗っていられる自信は全くなかった・・・。
大阪の親戚がワゴン車で行く時、両親も車で一緒に行くのだが、私だけなぜ行かないのか誰も聞かなかった。
たぶん、今の私の身体のことを、両親がそれとなく話したのだろう・・。
私も2階で、従姉妹の帰り支度をペチャクチャおしゃべりしながら、手伝いつつも、心の中ではむしょうに寂しかった。
子供の時のように・・とは言わないが、せめてもう少し長く何日か一緒にいたかった。
でも、もうあの頃のようにみんなたっぷり時間があるわけじゃない。
ちえちゃんも、さよちゃんも仕事があるのだ。おじちゃんとおばちゃんだって仕事がある。
だったら、せめてこの後行くお寺のお参りに一緒に行きたい。
でも・・・、私は行けない。
お寺へは車で、20分くらいかかる。そんなに長い時間、車に平然と乗っていられる自信は全くなかった・・・。
大阪の親戚がワゴン車で行く時、両親も車で一緒に行くのだが、私だけなぜ行かないのか誰も聞かなかった。
たぶん、今の私の身体のことを、両親がそれとなく話したのだろう・・。
| HOME |


















